爺々 寝た?(時事ネタ)

爺々ネタ 等を気が向いたときに~

「これ何? 善悪 」

「これ何? 」:自覚
 
 「悪を作りながら悪に非ずと思い、悪の
 報あるべからずと、邪思惟するに依りて、
 悪の報を感得せざるは非す。」道元
 
 悪事を働いても、これを悪事とは思わず、
これくらいの事なら大勢に影響はないと
思い込んでいる者がいます。
 
 悪事をはたらいたと言う意識が希薄なため、
全体像が把握出来ていない状態です。
 
 しかし、認識、自覚のない小さな「悪」でも
その報いは必ずあると禅師は説いています。
 
 さて、「悪」とは何なんでしょうか?
答えは出せません(分かりません)。
 
 全てが「悪」でもあり、「善」でもあると
言うこともあり得るのでしょうか?
 
 まるで、禅問答のようです………
「悪事」なら分かりそうな気もしますが、
「悪」とは、と問われても ??………
 
 * 小春日や 小舟も人も 船溜まり
            2020.11.14.moai291

「これ何? 苦しみ 」

 「これ何? 」:幸福追求
 
 「他人を苦しめることによって、自分の
  快楽を求める人は、怨みの絆にまつわられて
  苦しみから脱れる事が出来ない。」 (仏陀
 
 自分の幸福を追求することに囚われすぎて
他者を犠牲にするような行為を行ってしまうことが
ままあります。
 
 そうすると、当然恨みをかい、その報いは
必ず自身に返ってきます。
 
 真の幸福とは、自身も他者も幸福になる事で
なければなりません。
 
 結局、他者の犠牲の上に立脚した幸福など
あろうはずがありません。
 
 しかしながら現代においては、上記の内容は、
「キレイゴト」との批判を浴びることも
承知はしています。
 
「生き馬の目を抜くような時代に、
何を生ぬるい事を」と。
 が、しかし、やっぱり…………。
 
 * 冬晴れや まだ現役と 好々爺
          2020.11.08.moai291

「これ何? 自然界 」

 「これ何?」:心うごく
 
「心動けば、山河大地も動く。
 心動きなければ、風雲、鳥獣も
 その動揺無し。」 (慈雲尊者)
 
 人は、心の動きによって、山河や大地、
四季の動きをも感じとっている。
 四季の移り変わりは、心が演じている。
 
 見て、触って、心が感じてはじめて
鳥獣をも感じることが出来る。
 自然界の動きは、人の心の表れであると
上人は教示しています。
 
 ただボケーと「紅葉がきれいだな~」などと
言っている場合っではありません(我、自戒す)。
 但し、リラクゼーション等の為だけなら
 「ボケー」もアリかも………。
 もしかして、「禅」の心の入り口かも………。
 
 * 太陽の 光集めて 赤蜻蛉
       2020.10.29.moai291
 (慈雲尊者:江戸中期の真言宗の僧)

「これ何? 功徳 」

「これ何? 」:天に生まれる
 
「公園をつくり、林を拓き、道を造り
 荒野に井戸を掘り、悪路に宿を建てる。
 この功徳を積み、人の道に従い、
 規律を守る人は天に生まれる。」 (釈迦)
 
 お釈迦様はこのように仰っておりますが、
現代に当てはめると、ややもすると矛盾点が
出てきているように感ぜざろう得ません。
 
 熊が出没する。
 林を切り拓き、公園をつくり、道を造り、
悪路に宿を建てる等の人の行為が、熊の生息域を
浸食してしまったのでしょう。
 
 人の事ばかりに囚われずに、自然との調和に
こころを配る事が早急な課題として提示されて
いるような気がしています。
 
 自然との調和を本気で考えなければ、
人は「天に生まれる」ことなどできないでしょう。
 
 *柿の木に 登りし熊の 爪の跡
      2020.10.27.moai291

「これ何? 論争 」

「これ何? 」:論争と称賛
 
「集会の中で論争する者は、賞賛を求めて
 心おだやかならず。
 負けると気落ちして、人のあら捜しをするくせに、
 自分が論難されると怒る。」 (仏陀
 
 いわゆる「ディベート」では、勝ち負けを
競うような面もあるが、意味もなく怒った者は
敗者である。
 
 誰しも賞賛を望まない者などいない。
物事を理論的に考えず、感情に流されると
つい闘争的になってしまう。
 
 議論は、勝ち負けが大切なのではなく、
お互いの主張を、今後どう生かすかという
視点が大切なのでしょう。
 
 変にプライドが強すぎて、物事を理論的に
考えず、感情に流されると何の成長もない。
 
 * 秋の空 雲ひとつなし 海も碧
               2020.10.25.moai291