「これ何、 不知 」
「これ何? 」:仏法の生活
『「目」が、オレはカシコイのだけれど、位が低いとも思わず、
「眉」は、オレは役なしだけれども、位が高いと思はぬ。
仏法の生活とは、この不知の活動である。
山だからというて高いとも思わず、海だとて広いとも
深いとも思わず一切合財、不知の活動じゃ。』(澤木興道)
既知:「知ってる」を知ってること。
既に分かっていること。(既定の事実~)
未知:「知らない」を知ってること。(未知の宇宙~)
無知:「知ってる」を知らないこと。(無知なヤロウ~)
不知:「知らない」を知らないこと。(不知の活動、境地)
「知らない」コトについて、何も知らない状態が「不知」。
この「不知の境地(課題)」に対しては、
「どのようにすればできるのか?」という手段から考えるのではなく、
「何のためにするのか?」、「それは何のためにあるものなのか?」
という「目的」や「機能」という視点で分析し、課題の本質を導き出して
いく事が、宗教で言う「悟り」につながるのでしょう。
これが、仏法の生活と言うことなのでしょう。
* 野分あと 西へ行こうか 深夜バス
2020.09.08.moai291